2016年10月11日

一柳城(大洞城)

 岐阜県関市上之保に有る一柳城です。大洞城とも言います。
 城の来歴に付いてはウィキペディアを御覧下さい。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9F%B3%E5%9F%8E

 上之保は関市の奥まった所の盆地ですが郡上八幡に至る要衝でその守りの城です。
 両側を川に挟まれた小高い山で、全体の城域はかなり大きな物の様ですが、整備が殆どされていない上に林道や植林で遺構が破壊されている部分が多く残念です。
 石垣や大きな竪堀が残っていて良好な城跡なのですが、史跡などにしていされていないのか草が生い茂り、石垣もかなり崩壊している部分が有ります。
 草に埋もれた部分にも石垣が残っていますが、私一人では中々立ち入れず残念です。
 
 1475669127480.jpg
 縄張りです。

 1475669126373.jpg
 天然の谷かと思うほどの大きさですが、どうやら人工的な竪堀の様です。
 こちら側から登った辺りにも石垣が残存していますが草に覆われていて良く確認できません。

 1475669127129.jpg
 二の丸辺りの石垣。この辺りの石垣が一番保存状態が良いです。大きな石は門の跡らしいです。

 1475669126873.jpg
 本丸辺りの石垣はかなり崩壊していますが一部残っています。本丸は一段高く成った部分が有り建物跡かも知れません。

 1475669128129.jpg
 崩壊した石があちこちに転がっています。石自体はあまり大きく無いですが割って加工して有る石です。
 
 
posted by 楽屋 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月06日

伏屋城跡。

 岐阜県岐南町伏屋に有る、伏屋城跡に行きました。分かり難い場所ですが諏訪神社と言う小さな神社の近くの竹藪が目印です。看板が建っていますが、周りは住宅地なので散策の際は注意が必要です。現在は住宅地ですが用水路が沢山あるので昔は水田だったのではと思います。戦国時代には木曽川沿いの中州か湿地の様な場所だったのではと思います。
 
 ここは、あまり知られていませんが豊臣秀吉の一夜城伝説の有る場所です。
 墨俣一夜城が有名ですが、墨俣には模擬天守が建って観光地としていますが確たる遺跡は有りませんが、こちらには土塁が一部残っています。
 場所的にも、墨俣は岐阜城から距離が遠くそれ程の脅威に成るとは思われないのですが、こちらは直線で5〜6キロ程で、岐阜城も良く見えますし岐阜城からも、ここに城を作っていたら直ぐに発見出来る正に喉元と言う場所です。
 
 当時は木曽川の流路が今とは違っていて、今は境川と言う小さな流れに成って居る場所が本流だったらしく、川に筏を流して築城したと言う伝説も納得出来ます。
 想像ですが、太閤記などが江戸時代に書かれた折りに墨俣と伏屋の伝説が入れ替わってしまい、墨俣の方が有名に成ってしまったのではと思います。
 
 一応史跡には成っていますが、住宅地の中の竹藪の中にヒッソリと土塁の一部がL字形に残っています。
 少し地面が凹んでいる部分が有り、もしかしたら堀の跡かも知れませんが草が生えていますし、家も建て込んでいるので良く分かりません。
 しかし、この様な場所で遺跡が残っているのは奇跡的な事だと思います。
 これ以上開発されたり破壊されたりしないで長く保存して貰いたいと思います
 
 1465023145680.jpg

1465023144739.jpg
 
posted by 楽屋 at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月06日

椎倉城

 関市に有る椎倉城を御紹介します。
 なぜに紹介するかと言いますと、このお城、美濃の城、と言う本に記事が出ている以外、ネットで検索しても画像も出てきませんし場所も良く分からない城で、多分画像を載せればネット初だと思われるからです。
 まあ、検索する人も殆ど居ないとは思いますが
 
 椎倉城は、信長の美濃攻略に備えて中濃地方の全線基地として斎藤氏によって造られた城です。
 確かに今でも山の直ぐ近くを高速道路が走っていて交通の要衝と言う事が分かる場所です。
 ただ、城と言っても臨時に造られた砦と言う感じで、しかも廃城に成ってから400年以上整備もされておらず、また訪れる人も稀なので道も定かでは有りません。

 しくらトンネルと言う所の上の山と言う事は聞いたので、林道を少し進み、山に入る道は無さそうなので適当な場所から山頂を目指して登りました。
 道無き道と言うか、山の斜面を登るのはかなり大変で少し滑落の危険も感じました。
 取り敢えず進んでいくと鉄塔が有り、どうやらその先の山の上が城跡らしい感じがするので登りました。
 
 山頂は人工的に平地にした痕跡と、水を貯めた貯水池が有り、この池がこの城の一番の見所です。周りを探索して見ると土塁らしきものと、わずかな石積みが見られました。
 人工的に造られた城には間違い無く城跡に辿り付く事が出来て良かったです

 帰りは、美濃の城、に記してある大手道らしき所を下った所、道は定かでは無いのですが行きよりは大分楽に下りられました。
 行く事は、あまり御勧めとは言え無いのですが御参考になれば幸いです。

 1462459599828.jpg
 大手道。大きな石が行く手を塞ぐ形で、往時は石を回り込み感じで道が付いて居たのではと思われます。

 1462459600461.jpg
 雨水を貯めた池。地面を掘り込んで縁を土塁で固めて有る。池の端と掘り切りらしく窪地を挟んで土橋が有る。そこを渡ると二の丸で土塁状の高まりの上が本丸らしい。

 1462459600923.jpg
 本丸に有る石積み。当時はもう少し沢山石積みが有ったのかも知れないが今見えているのはこれぐらい。
 本丸を下った所にも曲輪が有るらしいが木が生えているので良く分からない。
 
 1462459601528.jpg
 縄張り図。
 
 
 
posted by 楽屋 at 00:22| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月11日

小谷城。

 土曜日は滋賀県の小谷城にフェイスブックのお城オフ会で行って来ました。
 行きたくても行けなかった城なので行けて良かったです。
 一緒に近場の山城巡りしてくれる様な仲間が居たら良いな、と思うのですが中々同好の人とは出会えません
 もしも、興味の有る方が居たらコメントかメッセージを下さると嬉しいです

 さて小谷城はとても有名なお城で今更とやかく言う事は無いのですが、近江の浅井家三代の居城で山全体に遺構が残っている大変大きな山城です。詰めの城として更に奥の山の頂には大嶽城が有ります。
 小谷城へは中腹まで車で行けますし、木が切って有り草も刈って有り良く整備されているので見学し易いです。
 大嶽城へも行きましたが、山道が結構キツクて大変でした。もっと体力を付けねばいけません。
 こちらは土塁の城ですが、大きな竪堀の後が有ったり中々技巧的な山城です。山を下りながら途中の尾根沿いに砦跡も有り、いずれも良く整備されていて案内板も有り見学し易いです。

1460376247895.jpg
 右の山の上が小谷城で真ん中の高い山が大嶽城です。左側の山の尾根沿いにも砦が有り、城下町が有った谷を囲むような構造に成っている壮大が城です。

 1460376248815.jpg
1460376249483.jpg

1460376248284.jpg
 大嶽城、復元図。

1460376247439.jpg
 帰りに長浜城にも寄りましたが、こちらは模擬天守が建っている以外は取り立てて遺構が無くちょっと拍子抜けしました。彦根城築城の際、建物も石垣も持って行った様です。
 琵琶湖の中に太閤井戸と言うのがポツンと有ります。
 
 
posted by 楽屋 at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

苗木城へ行った。

 先週ですが所用で恵那市の方に行ったので帰りに苗木城に行って来ました。
 苗木城は木曽川沿いの山上に造られた山城で、幾多の戦乱を経験した城です。
 江戸時代は遠山氏一万石の城でした。一万石の城持ち大名は遠山氏ぐらいで普通は陣屋ですから何かの特例が有ったのかも知れません。
 復元模型を見ると石高に応じて質素なお城で板敷の屋根に土壁で城と言うより大きな山荘と言った感じです
 
 ただ、石垣は大変立派で天然の巨石を取り込んで石垣を組んで有り、天守は巨石に柱穴を空けて掛造りで建っていました。
 マチュピチュ遺跡を思わせる(行った事無いけど)見事な造形の石垣です。
 山城と言っても上の方まで車で行けますので散策しながら直ぐに登れますので、御近くまで来る機会が有りましたら一見の価値ありの城跡です

1459955083476.jpg

1459955083151.jpg

1459955082699.jpg

1459955082335.jpg
posted by 楽屋 at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月09日

十六所砦

 近場の城跡の紹介の第二弾です。
 たぶん、地元の人でも滅多に行かないと思う十六所砦跡です。
 この砦は、近くに有る関城と言う所の出城として造られたのが始めらしく、確かに前方は川が有り適度に小高い山で裏面は急な崖なので砦や城を作るには良い場所の様な気がします。
 関城は信長に攻略されたのですが、あまり戦闘に成らず守備していた側が退却してしまったので自然に、この砦も廃城に成った様です。
 
 ただ、その後本能寺の変が起こり美濃の国も動揺した時に、立花山の戦いと言うものが起こり、その折「鬼武蔵」こと森長可(森蘭丸の兄)が一時、陣城として整備した様です。
 
 立花山の戦い https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

 さて砦ですが、中腹に神社が有り、そこまでは道が整備されています。ただ結構な急坂を登らねばいけませんたらーっ(汗)
 神社の先は道が定かでは無いのですが、道らしきところを進むと途中に平地が有りコンクリートの廃墟が有ります。この平地も城地の一部かも知れません。
 そこを過ぎると山頂に成ります。あまり人も通らない道なので蜘蛛の巣が多くて登るのも一苦労です。
 
 山頂は小さな祠が有ります。この辺りは小さな平地に成っています。櫓でも有ったのでしょうか?仮にここを本丸として周りにも平地が有り腰曲輪なのかも知れません。
 やはり臨時の砦なので、あまり遺構は無いですね。
 山頂は狭くて水も無いので見張りぐらいの施設で、森長可は下の神社の辺りに居たのかもと想像しました。

 1439124524886.jpg
 中腹の神社。ここが山の中では一番広い場所です。たぶん砦の跡を利用して神社を作ったのではと想像します。
 
 1439124524359.jpg
 神社の石垣。たぶん後世のもの。

1439124525467.jpg
 山頂。人工的な平地と思われます。

1439124525961.jpg
 山頂下。少し平地に成っているので腰曲輪ではと思います。





 
posted by 楽屋 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月18日

近江八幡城へ。

 少し日にちが経ちましたが土曜日滋賀県の近江八幡城へ行って来ました。
 フェイスブックの城巡りのオフ会成るものに参加して行きました。
  
 近江八幡城へは岐阜から、それ程遠く無いですし着いてからも山頂まではロープウェイで登れます。
 近江八幡城は短期間で廃城に成り、江戸時代には城主が無く放置されていた訳ですが、その割には石垣も崩れる事無く良く残っています。
 高い山の上なので城跡はそれ程大きく無いのですが、山の上を削り石を持ち上げた労力は大したものと感心します。
 1434557863605.jpg
1434557903295.jpg


 
 さて、その後城山と峰続きの北ノ庄城なる中世山城の跡に行くとの事で、これがとても大変で疲れましたあせあせ(飛び散る汗)登ったり下ったり途中滑って転んだり藪に入ったり運動不足の身には堪えます。
 世の中、マニアな城好きの方達が居るものです。
 城跡は中世の物なので、堀切が有ったり土塁が有ったりですが痕跡が残ると言う感じで中々全体像を描くのは難しいです。
1434557934328.jpg



 さて、来たからには同じ道を戻らねば成らず、これまた大変でしたが行きよりはゴールが分かっているので幾分はマシでした。
 その後は山を下りて、山裾に有る豊臣秀次居館跡に行きました。近江八幡城は山麓の居館、山上の詰めの城、と言う岐阜城などと同じ様な構造に成っています。
 こちらは長い階段を登った所に有ります。
 安土城と良く似た感じで大手道を挟んで左右に武家屋敷跡の平地が有り行き詰まりに居館跡が有ります。
 居館跡は大きな石を積み流石に迫力が有ります。跡地は竹藪に成ってしまい石垣の崩れも有るので、もう少し整備してくれたらな、と思いました。
1434557921345.jpg

 我が身の体力の無さを感じて、もう少し痩せて鍛えねばいけませんたらーっ(汗)
ラベル:
posted by 楽屋 at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする